history
HISTORY

沖縄トヨタ History1951-2015

1950年代

1951年

創業期

沖縄トヨタの
始まり
1951年、「沖縄トヨタ自動車販売株式会社」が設立。琉球総代理店として沖縄初の民間自動車販売業となる。

試練機

救世主 第3期に初の赤字決算。第6期まで不振期が続き、経営状態は困窮。取締役会が大騒ぎする中、野原朝康専務が「私がすべて引き受ける」と宣言し社長就任、資金繰りに奔走した。

トヨタSB型小型トラック

1957年

転換期

覇権を握る
先見
野原朝康社長は必ずや国産車の時代が来ると予見し、1957年の小型タクシーが認可された機にトヨペット・ニュークラウン車の輸入販売を開始する。黄色で塗装された通称「レモン・イエロー車」は爆発的な人気を呼んだ。こうして迎えた第7期決算はかつてない黒字となり、沖縄トヨタ再起への第一歩となった。

国際通りを走るイエロー小型タクシー

1960年代

躍動期

飛翔 1960年代の沖縄経済の急速な成長に伴いさらなる飛躍に向けて、本社社屋の建設移転、整備工場新設や部品部の併置を行った。これにより、重要増加や販売シェアに対応する体制づくりやサービス部門の強化を図った。創業10周年目の1961年には離島への販路拡大。翌年には、初の沖縄トヨタ・グループの誕生、さらに翌年には本格的なショールームの建設も行った。

1963年

1963年には8年ぶりのモデルチェンジとなったニュークラウンが発表し、人気を博した。
また、1960年代半ばからは、マイカー時代の到来、トヨタからは新車の発表が続いてユーザ層が拡大されるなど、沖縄の自動車界に「トヨタ時代」が築かれた。

1963年発表 2代目クラウン

1970年代

本土復帰前後

島が変わるその時 会社名を“沖縄トヨタ自動車販売株式会社”から「沖縄トヨタ自動車株式会社」へ改称。

「730」沖縄の交通方法変更

1978年7月30日に日本本土と同じく沖縄の交通方法も「人は右、車は左」に統一。通称「ナナサンマル」。
左ハンドルから右ハンドルへの代替に伴う新車需要の拡大を見越し、沖縄トヨタは総力をあげてこの対策に乗り出していた。結果、代替が必要となる県内タクシー車の65%の受注に成功した。

鉄道のない沖縄では本土に比べ、約2倍のスピードで自動車が普及。経済活動も活発化し、沖縄トヨタは産業と市民の間に「時間の活用」と「豊かさ」を確立した。

交通方法変更前

「730」変更の瞬間

1980年代

発展期

前進する一枚岩 1980年は沖縄トヨタの永続的発展のための基礎づくりの年であった。沖縄トヨタグループは「一糸乱れぬ協力体制」と「鋭意努力」を合言葉に、沖縄の日本復帰後の新時代に向けてスタートを切った。

1987年

80年代は不況から始まったが、半ばからゆるやかに景気は上昇。1987年には著しい経済成長を遂げ、バブル期を迎えた。県内の経済状況も好転し、消費1志向も高まっていったことから、より高品質で高級感のある商品を求める時代へと変容した。

セルシオ(初代)世界に通用する高級車として登場

1990年代

展開期

折れることのない
琉球魂
1991年、バブルが崩壊したことで、国内経済は大きく落ち込むこととなるが、沖縄トヨタはバブル期にも自動車関連の市場にのみ、取り組んだことで余分な負債を抱えることはなかった。

2000年代

拡大期

更なる
飛躍に向けて
2000年にカーランド豊見が開設し、その後レクサス那覇やフォルクスワーゲン沖縄中央がオープンするなど、順調に店舗を拡大。

トヨタの創業以来、変わらぬ使命はクルマづくりをもって社会に貢献すること。私たちはその思いを胸に、人とクルマ、沖縄の自然環境を創造しこれからも地元の皆様とともに歩みつづけていきます。

現在の沖縄トヨタ本社 

現在

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